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  • 院長 田中康文

嗅覚障害(においが分からない)

バラや桃の香り、コーヒーの味わい、ときに生活を豊かにしてくれ、ときに危険を察知するアンテナの役割にもなるにおいの感覚「嗅覚」とその障害と治療について概説します。

嗅覚は視覚や聴覚に比べるとその障害による影響は比較的少ないといわれています。しかし食品が腐りかけていてもわからない、ガス漏れや不審な煙を臭いで感知できないなど、その障害は生活上の不都合や事故を起こす可能性があります。また、食事を美味しく食べるなど潤いのある生活を送るためにも嗅覚は重要な感覚といえます。

嗅覚障害は嗅覚低下、嗅覚脱失(完全ににおいがしなくなる)など、量的嗅覚障害と、異臭症、嗅覚過敏、特定のにおいだけわからないなど、質的嗅覚障害に分類されますが、嗅覚障害のほとんどは量的嗅覚障害といわれています。

異臭症にはにおいが違って感じる、すべてが同じにおいに感じるといった刺激性異臭症や、常ににおいを感じる、なにもしなくても臭う、といった自発性異臭症がありますが、異臭症の多くは量的嗅覚障害の回復過程に生じるので、量的嗅覚障害はできるだけ早期に治療が必要な障害といえます。

空気中を漂うにおいの粒子は空気に乗って鼻腔に入ります。鼻の内側の空間のことを鼻腔といい、鼻中隔によって左右2つの通り道に分かれています。鼻腔の奥の天井には嗅裂という所があり、そこにはにおいを感じる、いわばセンサーの役割をもつ粘膜が存在し、これを嗅粘膜といいます。そこには短い毛を持つ嗅細胞が1000万個並んでおり、様々なにおいをかぎ分けられるとされています。空気中のにおい物質がこの嗅粘膜に付着すると嗅細胞が刺激されて、その情報は電気的な信号に変えられそこからにおいは、電気信号として神経に伝達され(嗅神経)、鼻腔のすぐ上にある「嗅球」という部分で処理されてから大脳の側頭葉に送られにおいとして感じるとされています。この嗅覚を感じる仕組みの、どこかに異常があるとにおいがわかりにくくなります。

嗅覚障害はその障害部位により、①呼吸性嗅覚障害、②末梢性嗅覚障害、③中枢性嗅覚障害に大別されています。

①呼吸性嗅覚障害

鼻が詰まっているため、におい分子が両側鼻腔のセンサー(嗅粘膜)まで到達できないことによります。慢性副鼻腔炎やアレルギー性鼻炎に伴う鼻腔内の粘膜の腫れや鼻腔ポリープ、重度の鼻中隔の弯曲や術後の粘膜癒着などによって生じます。

鼻中隔の彎曲が片方に偏りすぎると、においが片方だけ無いといった症状を自覚することもあります。

②末梢性嗅覚障害

におい物質が嗅粘膜に到達していてもそれを感じる嗅細胞が障害されていたり、そのにおいの情報を伝達する嗅神経が障害されて、においを感じない病態です。ウイルスなどによる感冒、亜鉛欠乏、外傷、加齢などによって生ずるとされています。

嗅覚障害の約50%は慢性副鼻腔炎とアレルギー性鼻炎、20~25%が感冒後嗅覚障害といわれています。

・感冒後嗅覚障害は風邪をひいたときにウイルスが嗅細胞や嗅神経に感染し萎縮や炎症を引き起こして生ずるといわれています。風邪が治り鼻づまりが改善されてもにおいが戻らないことで気づくことが多いようです。

・亜鉛欠乏症は亜鉛が体内で欠乏することにより嗅細胞が再生されずににおいを感じなくなるとされています。嗅細胞はほかの細胞と異なり、常に変性と新生を繰り返し、死滅しても再生するという特異な細胞であることが知られています。新しい細胞が作られるためには亜鉛は必須ですが人体内で作り出すことができないため、食事から摂取する必要があります。通常、毎日の食事が摂れていれば亜鉛不足はおこりにくいのですが、極端な摂取不足(特に肉や豆類・魚介類、中でも牡蠣など)や亜鉛を包み込んで腸管から吸収できなくしてしまう作用のある食品添加物などによって、亜鉛不足がおこる可能性があります。また降圧剤や消化性潰瘍治療薬、抗うつ剤、抗がん剤など、一部の薬剤は亜鉛を吸着し、腸からの吸収を阻害することが知られています。

・外傷は交通事故などで頭部が強く揺さぶられることで嗅神経が切断され、事故の直後より全くにおいを感じないことが多いようです。抗ガン薬の長期投与でも嗅神経が損なわれることがあります。

年をとると、視力や聴力と同様に嗅覚も低下します。最近の報告では嗅覚は、男性は60歳頃から、女性は70歳頃から急激に衰え始めるといわれています。これは、においを感じる嗅粘膜やにおいを伝える嗅神経の機能が低下することで起こるものです。

・慢性副鼻腔炎や通年性アレルギー性鼻炎は呼吸性嗅覚障害と嗅細胞の障害の混合型が多いとされています。特に副鼻腔炎の中でも好酸球性副鼻腔炎と呼ばれる難治性の副鼻腔炎は、鼻茸が嗅裂の周囲にできることも多く、鼻水や鼻づまりがあまりないのににおいを感じない、徐々ににおいが失われることが多いようです。

③中枢性嗅覚障害

嗅神経よりも中枢側で障害が生ずるタイプです。

におい情報が脳まで伝達されると、過去に入力されたにおいの記憶と照合して何のにおいであるかを認識する情報処理を行います。におい情報を処理する脳が障害を受けると、においを判別することができなくなります。

中枢性嗅覚障害は、頭部外傷や脳腫瘍、脳梗塞、パーキンソン病、アルツハイマー病などの病気で起こります。アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患では、症状が進行する前や早期ににおいが分りづらくなることがあると言われています。特にアルツハイマー病では何かにおいはするが何のにおいであるか判別できないという、においの判別能(認知閾値)が低下することが知られています。

嗅覚障害の診断には、まず原因を知るために問診を行います。いつからにおいがわからなくなったのか、何か思い当たるきっかけはないか、どんな風におかしくなっているか、今服用している薬、他の病気の有無、こういった情報をもとに嗅覚にどんな障害がおこっているのかを探っていきます。

また耳鼻科的に鼻副鼻腔疾患があるかどうか、また嗅粘膜の状態を調べるために、内視鏡検査にて鼻腔内観察を行い、さらに副鼻腔CT検査にて副鼻腔炎や鼻中隔弯曲症があるか、嗅裂という嗅粘膜が分布する場所の形がおかしくないかなどを調べます。

血液検査にて血液中の好酸球の割合、アレルギーの有無、亜鉛の濃度などを調べます。

嗅覚障害の有無や程度の判定には嗅覚検査を行います。日本では基準嗅力検査や静脈性嗅覚検査(アリナミンテスト)がありますが、静脈性嗅覚検査のほうが広く行われています。

基準嗅力検査はT&Tオルファクトメーターを用いて、5種類のにおいが濃度別に8段階に分けられ、薄いにおいからはじめてにおいが分かるまで嗅いでいきます。わかった時点の濃度の平均値で嗅覚障害の程度を判定する検査です。この検査は大型の脱臭装置が必要なので、行う施設は限られています。

静脈性嗅覚検査(アリナミンテスト)は強烈なニンニク臭がするビタミンB1(アリナミン)2ccを肘の静脈から注射します。するとビタミンB1の嗅素が血流にのって肺に行き、肺胞で拡散されて吐く息の中に含まれ、ニンニク臭を鼻の後ろから感じるかどうかを調べる検査です。

ニンニク臭を感じるまでの時間(潜時)とニンニク臭が消えるまでの時間(持続時間)を測定します。

正常では潜時が10秒以内、持続時間は1分以上とされています。

呼吸性嗅覚障害の場合はニンニク臭を感じることができます。アレルギー性鼻炎や副鼻腔炎などが原因で鼻の入口からくんくんと嗅いでも全くにおいがわからない方でも、この検査で反応があった場合には嗅細胞・嗅神経はまだ残っている可能精があります。

潜時が17秒以下なら鼻の手術の予後が非常に良いことも報告されています。

つまり、T&Tテストは鼻穴から調べる検査で、アリナミンテストは気管からのど、さらに鼻の奥を通って嗅細胞に到達するのを調べる検査です。ですから、T&Tテストの反応が悪い場合、アリナミンテストの潜時が正常なら伝導性(呼吸性)嗅覚障害、潜時が長ければ嗅細胞・嗅神経障害が疑われます。

嗅覚障害と診断されたとき、原因が副鼻腔炎にある場合は西洋医学的には、マクロライドと呼ばれる抗生物質を投与するとともに、ステロイド鼻噴霧点鼻薬で鼻粘膜の炎症を抑える治療が中心となります。アレルギー性鼻炎の場合も抗ヒスタミン剤やステロイド鼻噴霧薬が用いられます。

一方、近年増加している好酸球性副鼻腔炎はマクロライド系抗菌薬が無効ですが経口ステロイド薬が有効で、改善率は比較的高いのですが喘息の悪化で再発しやすいことが知られています。これらの疾患で、内服薬や点鼻薬、鼻洗浄で効果が無い場合や鼻の中に鼻茸が充満している場合などは、内視鏡手術により嗅覚を回復することも検討されます。

副鼻腔炎やアレルギー性鼻炎に起因するものは、内服薬や点鼻薬、手術で約70%の方が改善するといわれています。しかし好酸球性副鼻腔炎はステロイドや手術によって一時的ににおいを取り戻してもまた悪くなってしまうので、長期的なケアが必要となります。

漢方藥は時に西洋薬を上回る効果を示すことがあり、副鼻腔炎やアレルギー性鼻炎に対しては辛夷清肺湯、荊芥連翹湯、葛根加センキュウ辛夷などがしばしば用いられ、好酸球性副鼻腔炎に対しても煎じ薬で改善する可能精があります。

鼻中隔彎曲に伴う症状が疑われる場合には積極的に手術(鼻中隔矯正術)が勧められています。血液検査により、体内の亜鉛が不足していることがわかった時には、酢酸亜鉛水和物(商品名:ノベルジン錠)を内服することで症状改善がはかれる場合があります。ノベルジン錠は成人では、1回25〜50mgを開始用量とし1日2回経口食後投与し、最大投与量は1日150mg(1回50mgを1日3回)、となっています。なお、鉄剤やビスホスホネート系製剤の服用時には、これらの薬剤の吸収率が低下する可能性があるため、2時間以上時間をあけて服用することが大切です。また銅の吸収も阻害される可能性があるため、定期的に血清銅を測定することが勧められています。

感冒後嗅覚障害や外傷による嗅覚障害は1年間の経過観察でゆっくりと自然改善するケースもありますが、一般的に改善は困難といわれてきました。しかし最近、漢方藥の当帰芍薬散が試みられ、感冒後嗅覚障害では約70%の方が治癒あるいは軽快し、ステロイド点鼻療法より優位に高い治療成績が得られたことが報告されています。また外傷性嗅覚障害も感冒後嗅覚障害ほどではないが当帰芍薬散で少し改善することが報告されています。

西洋医学において、このような漢方藥が用いられた理由として以下のことがあげられています。嗅細胞は嗅粘膜から嗅球まで伸びる神経細胞ですが、他の神経細胞と異なり常に変性と新生を繰り返し、傷害による脱落後も新たな再生が起こり、マウスなどでは4週で嗅覚が回復することが知られています。また細胞の再生、維持には神経成長因子をはじめとするさまざまな神経栄養因子が関与していることが判明しています。したがって、嗅粘膜性嗅覚障害では、いかに嗅細胞の再生を促すかが治療のカギを握ります。

感冒後嗅覚障害は男性より女性の方が4,5倍も発症率が圧倒的に多く、特に中高年の女性に多いことが報告されています。成人女性の冷え症に多く処方されている当帰芍薬散は、実験的に嗅球の神経成長因子を増加させ、嗅細胞の活発な再生を促すことが知られています。

これらのことから当帰芍薬散は女性ホルモンの血中エストロゲンを増加させ、神経成長因子活性を上昇させることで嗅覚改善に関与しているのではないかと推察されています。しかし当帰芍藥散にて男性も改善することから、今後さらなる解明が必要だと思われます。

さらに加味帰脾湯も当帰芍薬散とともに嗅球における神経成長因子活性を促進する作用が明らかにされており、当帰芍薬散にて反応がない場合には加味帰脾湯に切り替えることが推奨されています。

末梢性嗅覚障害は改善まで少なくとも3カ月以上要し、経過の長い症例では1年以上かけて改善する症例もあることから、薬は長期投与が必要であり、血清カリウム値を減少させる可能性がある甘草を含まない当帰芍藥散は本疾患に適した治療法と言えます。このような当帰芍薬散や加味帰脾湯のほかに、滋陰至宝湯や滋陰降火湯、補中益気湯、六味丸や八味丸なども嗅細胞の再生や活性化に寄与する可能性があります。

においが分からないと訴える人の中には、鼻の中が乾燥し、さらに寝汗や手足の火照り、寝起きののどの渇きを訴える人がいます。このような人には鼻の粘膜を潤す作用のある滋陰至宝湯や滋陰降火湯が時に奏効することがあります。また、鼻はのどと気管を介して肺とつながっており、においを嗅ぐ時は空気を深く吸って、におい分子を嗅粘膜に到達させる必要があります。このような肺気を補い、細胞の成長と発育に必要な気血を補う補中益気湯が時に有効な場合があります。この場合は疲れやすい、息苦しさがあるなどの肺気虚の症状がしばしばみられます。

漢方的には肺と腎は密接な関係がり、肺が空気を吸う力は生命の根源とされている腎に依存しているといわれ、腎気を補う六味丸や八味丸が有効である可能精があります。このほかにエキス剤としては、ステロイド作用と類似した、あるいはステロイドホルモンの効果を増強させるといわれている柴柴苓湯、さらに人参養栄湯、香蘇散、半夏白朮天麻湯、煎じ薬としては麗沢通気湯などが報告されています。しかしこれらは1例のみの報告であり、今後症例数の積み上げが必要と思われます。

このような西洋医学的治療や漢方治療のほかに、最近話題の治療として、『嗅覚刺激療法』というものがあります。上記したように、嗅細胞は死滅しても回復することができる、 稀な神経細胞であるということがわかってきました。そのため、強めのにおいを繰り返し嗅ぐことによって細胞と神経を刺激し、ダメージをうけた嗅細胞と神経が回復するのを促すという治療です。現在、世界中で積極的にすすめられている治療です。

嗅細胞や嗅神経が損なわれる感冒後や外傷による嗅覚障害にも有効という報告が海外ですでに出ており、日本でも少しずつ行っている施設が出てきています。また鼻づまりを放置して嗅細胞を使わないままでいると、嗅覚そのものが衰えてしまう可能精があり、さらに最近、高齢者でにおいが分からないと訴える人が多くなっているそうです。このような方に嗅覚刺激療法が効果を持つかも知れないと考えられています。

嗅覚と味覚は関係が深く、嗅覚が衰えると味覚も鈍くなりがちです。味覚が低下すると食欲の減退につながり、特に高齢者は体力が急激に落ちて寿命を縮める危険性もあるので、早期治療が大切です。そして食生活を中心とした生活環境の改善も大きなポイントです。食事は、カキや煮干し、豚レバーなど嗅細胞の新陳代謝に必要な亜鉛を豊富に含んだ食品や、イワシやシジミなど末梢神経の維持に必要なビタミンB12を多く含む食品を積極的に取り入れるようにしましょう。嗅覚や味覚の健康は、生活の質を維持する上でとても重要です。

喫煙は鼻腔の粘膜をあれやすくするため、禁煙することが大切です。血糖値が高い状態が長く続くと、末梢神経のしびれなどが起こり、嗅細胞も影響を受ける可能性があるので、血糖値のコントロールが必要です。普段から香りを楽しむ生活を心がけることが嗅覚障害の予防と病気の早期発見につながります。

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